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STORY02

「 ハイチューふたつ、ファンタグレープをふたつ 」

目次

お心主義辞典【二の法則】

お心主義辞典【二の法則】の項には、次のような説明がある。

『心の不全感、満たされなさを埋めるために、同じもの二つを必ずペアにして、購入したり、揃えたり、並べたり、身につけたりする行動。

おそらくはペアの一方が母親を表象し、もう一方が本人の表象であると思われる。
時には父親と母親との対を表現している場合もある。

いずれにしても、本人が編み出した無意識的な自己治癒の方法であるので、止めたり、我慢させたりすることよりも、その気分、おそらく依存対象との一体感であると思えるのだが、十分味わうことができる環境を準備することの方が、次へのステップ(エンパワメント)のためのエネルギーを提供することになる。』

お母さんがいなくなった理由

僕らは、陽介(仮名)さんともう二十年以上前に亡くなられている陽介さんの母親の墓参りに出かけた。陽介さんの母親は、陽介さんの入所の後すぐに事故で亡くなっている。

残念ながら陽介さんは、母親の愛を十分味わっていたとは言い難い。その頃陽介さんは三才である。
さらに皆さんは想像して欲しい。三才の子が、しかも重度の知的障害と自閉性の障害併せ持ったその子が、突然母親が目の前から消えて(亡くなって)しまったとき、それをどう受け止めるかについて。

おそらく『死』は理解できまい。とすれば、陽介さんは、< 母親は自分を捨ててどこかに行ってしまった>、それは< 自分を嫌いだからだ> と考えてしまってもおかしくはあるまい。

この日、僕らは母親のお墓へのお供え物を慌てて近くのコンビニで調達した。もちろん陽介さんも同伴である。

「陽介さん、お母さんのお墓に何をお供えしようか?」

彼は、分かったのか分からなかったのか、いつものと同じようにハイチューふたつにファンタグレープふたつ、加えてオロナミンC。さらに加えてカロリーメイト。こちらはいずれもひとつずつ。

母親の想いを伝えたい

僕らにはどうしても陽介さんに分かって欲しいことがあった。おそらく二十才を疾うに過ぎた今の年令でもおそらく『死』については完全には分かるまい。

だとしたら、母親は「あなたを捨ててどこかへ行ってしまったのではない、このお墓の中に、この地面の下にちゃんといるんだ」ということと、「あなたを嫌いになったのではない、この地面の下からあなたのことをずっと見守っているんだ」ということを。

墓地に着いた。いつも飛んだり跳ねたり走ったり、慌ただしい彼もさすがにしんみりしている。
<ちゃんとこの状況を分かってる>、彼のしんみりは、僕らにそれを伝えた。

「お母さん、陽介さんの小さいときに、急にいなくなっちゃったんだよね。

学園に入って、お母さんに会えなくなっちゃったと思っていたら、今度はお葬式だなんて言っちゃって。会いに行ったときには、もうお母さん呼んでも動かなくって。きっと僕のことを嫌いになったんだと思っちゃったよね。呼んでも返事をしてくれないんだものね。

いまここで、ちょっと説明したくらいじゃ、すぐには分からないかもしれないんだけど、この石の下にお母さんは眠っているんだよ。

ずっとずっと。どこかへ陽介さんを捨てて行ってしまったのではないのだよ。
この石の下で、いつでも陽介さんがいい子になるようにって、祈りながら、ここから陽介さんを見守っているんだよ。」

墓石のファンタグレープ

彼は一本のファンタグレープを石の上に置いた。彼は僕らの話しているその横で、まずハイチューを平らげた。そしてファンタグレープを一本瞬く間に飲み干した。

彼にはすぐそこにクラス変更が待っていた。僕らとももうしばらくたてばお別れである。
僕らには、この死別した母親とのお別れのことが少しでも彼の中で清算することができれば、すぐに訪れるであろうクラス変更によるお別れも、うまく乗り越えられるのではないかと考えていた。

この世の中にたった一人でも、自分を愛し、大切に見守っていてくれる人がいたなら、それで人間というものはやっていけるのである。

辛い状況にあっても、悲しい状況に陥っても、過去に一回でも、ひとりでも、きちんと自分を大切にしてくれた人がいたなら、それで人間は挫けないのである。

その一人の人間、それはここではもちろん母親である。施設でいえば、それは担任である。
最愛の母親、最愛の担任である。

「ねえ、陽介さん。いつまでも、陽介さんのことを見守っていてくれるようにお母さんにお願いしようか。」彼は僕らと一緒に両手を合わせ、頭を垂れた。

「さあ、行こう」陽介さんは僕らと一緒に動き始める。

彼は、お墓の石の上にポツンとひとつ置かれたファンタグレープに手をつけようともしない。

二本買われたファンタグレープ、そのうち一本は自分の分、そしてもう一本は母親の分、陽介さんはちゃんと分かっていたのだ。

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